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まなぶ

八面山の秘密

2016.02.11

ある日、愛知県地図を眺めていて、ふと八面山の文字に眼がいった。八という数学は末広がりで縁起がいいなあ。そういえば、古来から日本のことを大八洲(おおやしま)といったり、古事記の最初に出てくる須佐之男命の歌、”八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を”も八尽しだ。そこで八面山から八里の距離に何があるのかと興味を覚え、コンパスで八面山を中心にして、八里(39.4キロメートル)の円を書いてみた。

斎藤吾朗「八ツ面山から8里の距離をコンパスで円を書いた時の地図」

すると、その円の上に古代三河の信仰的シンボルの本宮山と、尾張の象徴の熱田神宮がぴたりと納まった。 これは何かあると感じた。本宮山と熱田神宮を結ぶ直線上の真ん中に古代遺跡のある岩津天満宮がある。その岩津と八面山を結ぶ直線の延長上に伊勢二見ヶ浦の夫婦岩がある。
また、八面山から熱田を結ぶ線の延長上に一宮の真清田神社があり、永平寺があり、東尋坊がある。八面山から本宮山を結ぶ線の延長上に鳳来山があり、富士山がある。その上、八面山の南西麓に本宮山砥鹿神社もある。

八面山の秘密

これらはまったくの偶然なのだろうか。あまりにも由緒ある士地と幾何学的に結ばれる図を見ていると、八面山は意図的に創られた山ではないかとも思えている。

山頂にある久麻久神社は701年創建だが、久麻久は高麗来とも考えられる。高句麗(古代朝鮮)からの渡来人が人工的な山造りの技術を伝えたのかもしれない。昭和40年、自衛隊の支援により女山山頂を削平して総合グランドを建設した時に、トラック数台分もの土器を闇から闇に処分してしまったという関係者の証言もある。

男山、女山の二つからなる八面山は二子山とも呼ばれ、この部落から江戸時代に二子山長十という人気力士が出てもいる。大相撲の二子山部屋はこの力士の流れを汲むものといわれている。もともと前方後円墳が二つの山から成っていることで、安城や名古屋など、あちこちに二子山古墳という名の遺跡が存在している。八面山周辺にも縄文前期(5000~6500年前)の遺跡がたくさん見つかっている。

ちなみに山の語源は斎天(いあま)で天 – 空を浄めるものという意味を持っている。山は天日直拝、神祇奉斎、水源札讚、材源礼讚、鉱原札讚、要害依拠、風景愛賞、心身鍛練、国見観察、通信狼火など、古代の生活の中で最も重要なものであった。

日本の大号「やまと」も「山門(やまと)」と書いて、「水門(みなと)」と相並ぶものであった。海の幸を得るところが水門 – 港、山の幸を得るところが山門 – 大和だったのである。

それにしても八面山は不思議な山である。良質な雲母がたくさん採れたので、別名雲母(きらら)山とも呼ばれ、吉良荘(きらのしょう)の語源にもなっている。雲母は古来より薬や襖絵、香道などに重用され、三河の雲母は最高級の品質として人気も高かった。有名な写楽の役者絵の背地には雲母が刷りこまれているので雲母絵と親しまれているが、これも西尾産の雲母が使われている。

東洲斎写楽 役者絵

さて、その雲母であるが、顕微鏡で観いてみると、その結晶は八面体と なっている。八面山と八面体、この偶然は何だろう。 古代の人々が結晶の姿を知っていて命名したのだろうか。雲母という字が示すとおり、雲をつくる母体…、UFOは雲母の成分から出来ているという説がある。大昔、八面山にUFOが飛来して、その上に土を被せた。やがて、そのUFOが分解され、雲母が採れるようになったというのは飛躍のしすぎだろうか。せちがらい世の中、少しくらいロマンがあってもいいのではないだろうか。

八ツ面山雲母坑跡

八ツ面山の雲母五斤詰めの飾り紙「幡豆郡雲母庄西尾本町 牧野伊蔵 彩色木版摺」 刊行年:明治期 サイズ:25×19㎝

幡豆郡雲母庄西尾本町 牧野伊蔵 彩色木版摺

少し話は飛ぶが、西尾市の岩瀬文庫に古事記の写本があるのを知っている市民は少ない。写本といっても、原本はなくなってしまっているので、大須観音所蔵の写本は一番古く、国宝となっている。その古事記に須佐之男命が八岐大蛇を退治した逸話が書かれいる。八面山にも斬られた大蛇の八つの頭(面)があったといわれ、6.5キロ南西の八ヶ尻町にその尾が流れついたといわれている。その上、西に3キロの稲荷山茶園麓にある八王子貝塚(縄文中期)の八王子は須佐之男命と同体の八人の王子(祇園牛頭天王)を意味している。

岩瀬文庫外観

八面山をはじめ、西尾幡豆地域は八という数字に何かと縁が深い。八は末広がりとして縁起のいい数字である。算用数字の8は釈迦が弟子達に説教した時、蓮の花びら一枚、0の形を手にとり、それを一括りにしたところ0の形が8になり、宇宙の全ての法を示したと伝えられている。算用数字は釈迦が考案したものといわれ、8を横に倒すと無限の意味となるように、無の0から無限の∞を生み出した釈迦の逸話は、拈華微笑という言葉で広く伝えられている。

蓮の花

何もない泥の池にある日、ポンと美しい蓮の花が開く、ここにすべての意味があると釈迦は悟ったのである。蓮のことをハチスと読むのも何か関連があるかもしれない。そして和数字も洋数学も永遠を意味している。

西尾幡豆の地名では、幡豆が八郷から成っており、 八洲(はず)と書かれた例もある。矢作川も八作川と書かれたこともある。矢田も八田、羽塚も八塚と書かれていた。字名も八幡山 (山下)八重山(上町)飛八(住崎)八ツ田(徳永)八万(新村)八縄(岡島)八石目(下永良)八石(富田) 八ツ通(木田)八貫 (鳥羽)助八、八重林(東幡豆)など数多く八を含んでいる。ちなみに西尾市のマークは西尾藩の結び井桁紋を使ったものだが、このマークはヨーロッパではダブルエイトといって、永遠に保存すべきものの印として、国宝や重要文化財を意味している。

西尾市の市章である結び井桁紋

佐久島で毎年一月八日に 八日講という神事が行われている。鬼という文字が大書きされた八角形の凧に矢を射る神事のあと、三角形の膳で食事をする素朴な伝統行事であるが、どこかで八面山を中心にした幾何模様とつながってきそうである。

古代から日本では八という数が聖数として大切に使われてきた。占いは八象を見る八封、天皇即位の礼の高御座(たかみくら)も八角形、三種の神器も八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、神武天皇の先導役は八咫鳥 (やたがらす)、古代の神話にはやたらと八が出てくることと、古代へブライ語のヤァが神を意味していることと関連があるのかもしれない。

月岡芳年 「大日本名将鑑」 「神武天皇」

日本の数え方の古語「ひ」「ふ」「み」は宇宙造化の真相を象徴表現しているといわれている。「ひ」は「日」「火」「霊(ひ)」など命の本源的なものを現し、「ふ」は過程を示し、「み」は「ひ」の実現で「実」「身」を表現している。「よ」は横に広がり、つながることを意味し、、「い」は 命の本源で「生く」「息 (いき)」「斎(いむ)」「祝 (いはふ)」「飯(いひ)」 稲(いね)」を象徴している。「む」はむすびを意味し、「な」は「む」の過程を大成させた結果で「成る」「生る」「熟る」を表現している。そして「や」は時空縦横の世界の重なり合いを表現し、生命の「い」を添えての「いや」は無限に繁栄する希望がこめられているといわれる。

「こ」は一切の現象を集中統一した姿で「凝り(こ)」が心になった元の「こ」である。「と」は切現象のたどりついた所を象徴している。八面山の地図から連想を重ねてきたが、実際に山頂の無粋な展望台に登ってみた。真東には貝吹山が見える。お盆にはこの山腹に半円形の大きな火の輪が浮びあがる。円の先に鉤があるので鉤万灯と親しまれ、京都の大文字焼きのルーツといわれている。

真南には穏やかな三河湾が見え、佐久島が見える。 その向こうに渥美半島と知多半島がちょうど八の字の形に浮んでいる。古代人たちも、この山頂から八の字の半島を眺めていたのだろうかと思うと不思議な感動が胸を熱くしてくれる。

八面山だけでなく、西尾幡豆には胸をわくわくさせるものがあちこちに潜んでいる。日本中、世界中、宇宙中を探しても無いものが西尾幡豆にはいっぱいある。それらがすぐ実生活に役立つわけではないが、あるというだけで心が豊かになってくる。古代の人々から永々と営まれてきた三河人の生き様がそこかしこに残っている。三河に生きている私達は全ての古代人とつながっていることを強く感じている。次の世代の人々に少しでも多くの秘密を残せるように、私はひたすら絵を描き続けている。

斎藤吾朗「三州西尾の岩瀬文庫」 200号

斎藤吾朗「三州西尾の岩瀬文庫」 200号
西尾市役所(三階)、市長室前

この記事を書いた人

画家

斎藤 吾朗

愛知県西尾市出身の画家。自らが赤絵と呼ぶ鮮やかな赤色を基調とした絵で、三河の風景や身近な題材を描く。独立美術協会会員・日本美術家連盟東海地区代表・宮城県おおさき宝大使

http://goroh-saitoh.com/