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まなぶ

豊川稲荷

2015.09.02

所在地:愛知県豊川市豊川町1番地
TEL:0533-85-2030 FAX:0533-83-0887

商売繁盛の神様として、全国的に有名な豊川稲荷は豊川市にある曹洞宗の寺院です。正式の寺号は妙厳寺(みょうごんじ)といいます。境内に祀られる稲荷が有名で、日本三大稲荷の一つとされ、全国から多くの参拝者が訪れます。3万坪を越える広い境内には大小合わせて90余棟の建物が点在しています。このページでは豊川稲荷の主な建物、見所等を紹介していきます。

豊川稲荷 境内参拝案内図

総門

入り口にある総門は創立から214年後の1656年に一度改築され、その後は数回の改復をが行われました。現在の総門は明治17年(1884年)に二十九世黙堂禅師(もくどうぜんじ)によって上棟改築されたものです。門扉と両袖の扉には樹齢千年以上の欅(ケヤキ)の一枚板が使用され、その如鱗(うろこ)のような木目の秀悦さが特徴です。頭上に祀られている十六羅漢は名匠で諏訪ノ和四郎(諏訪立川流)その他名工の合作といわています。その独特な佇まいから、歴史と日本の伝統技術の素晴らしさを感じました。豊川稲荷を参拝される方に、まず最初に観てもらいたい素晴らしい門です

豊川稲荷 総門

山門

総門を抜けて真っすぐ歩いて行った所にある山門は、現存最古の建造物で天文五年(1536年)に今川義元公が寄進されました。境内の建物の中で唯一の丸瓦葺(まるがわらぶき)造りの屋根の形をしています。寛政5年(1792年)に修理され、その後は昭和29年の春に大修理が行われました。この山門の先に妙厳寺法堂があります。

豊川稲荷-山門

妙厳寺法堂

山門を抜けた所にあるのが、豊川稲荷の正式名である豊川閣妙厳寺の法堂です。法堂とは禅宗における本堂のことで、嘉吉元年(1441年)東海義易禅師によって創立された妙厳寺の中心となる建物です。数回の火災にあいましたが、その度に再建されてきました。
現在の建物は、天保時代(1830 ~ 1843)二十四世の住職によって新築されたものであり、総ひのき造りの二重屋根で間口13間余(約24m)、奥行11間余(約20m)と重厚な外観をしています。堂内にはこの寺の本尊である千手観世音菩薩が祀られています。

豊川稲荷の妙厳寺法堂

最祥殿(さいしょうでん)

昭和4年冬竣成。當山最大の書院で、土蔵造りのお堂で四百畳敷きの大広間内に大黒天を祀っています。
この堂の前に立っている大黒様の石像は、削りとってその粉を財布に入れておくと福徳を授かると伝えられています。多くの人が削るため次第にすり減って、現在何体目かになっているようです。

おさすり大黒天造立の由来

経文に「仏の慈悲は限りなく信者の願いを聞き入れるけれども、よこしまな我欲をもって祈願することなかれ」とあります。仏身を撫でさすることによって広大な無辺の仏のご利益を頂くことができるのであります。
「オンマカキャラヤソウワカ」このご眞言を唱えながら撫でさすって福徳をいただきます。

最祥殿(さいしょうでん)

本殿

妙厳寺を開かれた時から守護神として豊川叱枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)通称「豊川いなり」のご本体が安置されており、ご祈祷の根本道場とされてきました。
御眞言は「オンシラバッタニリウンソワカ」と言い、ご参詣の人々はこのご眞言を二十一回唱えると功徳を得ることができると言われています。

明治以降、参詣者が増えた為、明治27年第二十九世黙堂禅師(もくどう)が本殿の大改築を発願し、明治41年に起工式を行い、22年の歳月と多額の資金を投入して昭和5年春に完成し落慶大開帳が行われたしました。

建物は総欅造、高さが30.6m、奥行は38.59mあります。内部は内陣般若殿(ないじんはんにゃでん)、施主殿に区画され内陣は本尊「豊川叱枳尼眞天」が奉祀してあり、諏訪ノ和四郎によって精巧に彫刻された朱漆塗りの厨子は、多くの拝観者に賛嘆されています。
更に両脇祭壇には伏見宮(ふしみのみや)家から贈られた毘沙門天、有栖川宮(ありすがわのみや)家から贈られた聖観世音菩薩、その他貴重な諸仏、諸菩薩の像及び諸仏具等が安置されています。明治時代には有栖川宮家から「豊川閣」の大額が下賜され大本殿内に掲揚されています。「豊川閣」と呼ばれのはこの為です。

昭和4年冬竣成。當山最大の書院で、土蔵造りのお堂で四百畳敷きの大広間内に大黒天を祀っています。
この堂の前に立っている大黒様の石像は、削りとってその粉を財布に入れておくと福徳を授かると伝えられています。多くの人が削るため次第にすり減って、現在何体目かになっているようです。

豊川稲荷 本殿

宝雲殿

本尊に釋迦牟尼佛十三佛を祀り、後壇を檀信徒の位牌堂とする仏事、法要を行う殿堂です。

宝雲殿

禅堂(万燈堂)

文久3年(1863年)9月に建立され、間口十三間(19.9m)、奥行七間(14.5m)の構造。かつては御信者が燈明をあげられたお堂で、正面には豊臣秀吉公の念持仏と伝えられる不動明を祀られています。戦後座禅堂に改修されました。

禅堂(万燈堂)

景雲門

安政5年(1858年)の建物で旧奥の院の拝殿でしたが、昭和五年大本殿の落慶にあたり、ここに移築して奥の院参詣の門になりました。

景雲門

彫刻は諏訪和四郎の作。

諏訪ノ和四郎の彫刻

霊狐塚

もとは納めの狐像を祀る場所でしたが、現在では信者が祈願と成就のお礼としてたくさん奉納しています。その数は不明です。また、昭和のはじめ頃には、本物の狐が飼育されていたそうです。

豊川稲荷 霊狐塚

豊川稲荷の狐像

この記事を書いた人

みかわワンダーランド編集部

三河エリアの活性化と情報発信を目的とした、新しい形のWeb コンテンツ。 オリジナルキャラ「みかぽん」の訴求により、三河の面白さ、奥深さに触れる機会を提案。

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